■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想
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第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想
タイトル : 「伝統食の復権。今、見直される日本。私たちの帰る味はどこに?」~農山漁村に残る食のビンテージを巡る冒険~
講師 : 森千鶴子氏(森の新聞社代表、福岡教育大学非常勤講師)
着実に、よりディープに発展してきた日本のポップカルチャ(サブカルチャー)。現在、世界の最先端を走っているのではないでしょうか?しかし、日本のポップカルチャー(サブカルチャー)をリードしている若者達の”食”に関して考えてみると、はたして、日本の日常的大衆”食”文化は発展してきたといえるのでしょうか?サブカル的に発展してきたとして、発展してきた方向性はよかったのでしょうか?それを、突きつけられたような内容のお話でした。
また、「食の文化祭」「行事食」「伝統食」「地域食」「弧食」「携帯食(けいたいしょく)」「小昼(こびる)」など、”食”にまつわる様々な言葉が登場しました。私にとって初めて聞く言葉ばかりで、新鮮な内容となりました。ここに、”食のビンテージ”のヒントがありそうです。
■ 原点 どこに帰るのか?
○ 懐かしさを感じるようになってしまった学生の食事
お話はまず森さんが非常勤講師をされている大学生のみなさんの、毎日三食一週間分の食事メニュー調査結果の一部紹介から始まりました。
出来合いのもので食べつないでいる男子学生、実家にいながらバイト先のドーナツを夕食にする女子学生。昔を懐かしく思い出しつつも、30年前と変わらない学生たちの食生活に怖さも感じました。このような食事が学生諸君の標準食として確実に定着化しているのです。
ここで森さんは、”弧食”、というご指摘をされました。私は初めて聞く言葉でしたが、一人で孤独に(寂しく)食べることを”弧食”というようです。一人暮らしや実家にいたとしても一人で(寂しく)食べる状態、つまり、”弧食化”がこのような食事メニューになってしまう一つの原因として考えられるということです。「”弧食化”が招く”食”の劣化現象」といえそうです。
○ 日本食の原点
ファストフード、ファミレス、コンビニ、弁当屋、などが登場してきた70年代から40年程経ちますが、市場原理に忠実に従い発展してきたこれらの食べ物、メニューとは、いったいどこの、だれの、何の食べ物なのか、改めて考えてみると、よくわからなくなってきました。
時代の転換期には、今までのシステムがうまく機能しなくなり、大規模な修正や、時には、まったく新しいものに更新しなければならなくなります。また、うまく機能していたとしても、方向性に問題があれば目的や方向性を改め、軌道修正をする必要があります。それに伴い、自分の考え方の変更を余儀なくされたり、根本から否定されたりすることもよくあります。私もそうですが、その時に誰しも”迷い”がでてきます。元々何を目的に何をやってきたのか?迷いの中で、いつしか時間をさかのぼり、”原点”とは何だったのか?を探し始めてしまいます。
そこで森さんは、日本人の食の原点として、「ごはん、味噌汁、焼き魚、おひたし」という献立を提示してくださりました。どのようなものでもそうですが、原点とはシンプルなものです。無駄なものはなく、必要最低限のものは網羅している。風土や地域性、歴史や民族性など必然的に生まれ出てくるものです。
右肩上がりから水平飛行時代に移った中で、”食”に関しても、近代以降の日本人にとって、あるべき本当のライフスタイルとはいったいどういったものなのか、を考える時期にきているようです。森さんのご指摘のように食の原点に立ち返るときではないでしょうか?食の原点の四品にたちかえり、”食”を考え直す。これは、何よりもまして最も必要なことのように感じました。
■ 引き算の時代 ー 本当に必要なもの=価値を見つけ出す。
○ 自由の中の不自由
元々なんだったのか?引き算していくと見えてくるものがあります。森さんは、日本食の原点とは、「ごはん+味噌汁+焼き魚+おひたし」、である。買えば何でも手に入る時代、選択肢が多すぎることで、自分にとって大切なもの、必要なものが何なのかを見失い、手っ取り早いもので済ませてしまう文化ができてしまったと提示してくださりました。これは、消費時代の有り余る選択肢の海原で漂流する難破船状態、大きな目標を見失い、目の前のことにのみ反射的に行動してしまう、ある意味、”自由の中の不自由状態”といえるかもしれません。
選択肢の氾濫、多様化が進む世の中で、必要ないものをいかに上手に捨て去り、必要なものを拾い上げることができるのかが、難破せずに、目的地に向けて航行できるテクニックの一つのようです。
○ 賃貸物件におけるマイナスのデザイン
機能の付加的バージョンアップで進んできた日本製品。賃貸物件に関しても同様で、時間が経てば経つほど価値が落ちるという宿命の中で、他物件と比べ少しでも機能、性能が劣らないようにしていこうという競争に邁進してきました。それは、最新の新築物件が最大評価となる、右肩上がりが前提のモダニズムの考え方を基準にした”リフォーム時代”の考え方です。
この考え方ですと、未来永劫、機能付加的バージョンアップをしていかなければならなくなります。これが永遠に続くことは不可能ですね。
前回の感想の中でも書かせていたできましたが、右肩上がりモダニズム時代が終わり、次の時代に移り変わっています。”リフォーム”から”リノベーション”の時代へ。モダニズム時代からリ・イマジネーションの時代へと。
右肩上がりのリフォーム時代、次々に付け加えられ、バージョンアップしていく機能でしたが、リノベーション時代に入り、逆の現象、”マイナスのデザイン”も多々現れてきています。解体撤去された化粧材、がらんどうのスケルトン状態の必要最低限にまで還元された空間。モダニズムの原点の空間がこれです。
どこに寝て、どこでくつろいだらよいのか?与えられることに慣れた入居者を惑わす空間。そこには何もないのですが、じつは入居者の想像力を最大限尊重した最大限の”自由”があるのです。見た目不自由に思える”がらんどう空間”には自由があります。”不自由の中の自由”ともいえます。
機能を引き算することで、つまり、マイナスのデザインにより、入居者のみなさんの自由度を上げるという要望に応えることもリノベーション時代には成立します。
■ 食の文化祭
○ 日常文化祭
宮城県宮崎町、地方の田舎まちで行われたイベント”食の文化祭”。各家庭から一品持ちよりで料理を集め、みんなで食べてみるというイベントだそうです。これはまさに、これからの生活中心社会にふさわしい、ありぶれた日常へ敬意をはらい、そのすばらしさを再認識する現代の文化祭ではないでしょうか。
このイベントでは、料理の優劣はつけないそうです。日常を彩る各家庭料理の多様性、そして、風土や歴史から生まれ出るその地域の独自性に価値があり、それを、自分たちで定期的に再認識し称え合い、次世代へ伝えていこうというような主旨のように感じました。
○ 行事食 伝統食 地域食
全国各地、様々なお祭りがありますが、どのお祭りも”食”の視点から見ても重要であることを、今回のお話で学ぶことができました。これまで、お祭りなどの”伝統行事と食”の関係は、私は全く考えたことがありませんでした。各地方の古くから行われている伝統行事が実は食文化のイベントでもあったのです。食の文化祭で行われた、各家庭一品持ちよりは、実は、地域の伝統行事で既に長年続いてきたことだったようです。(ハレとケの違いはありますが)
お祭り等の行事にふるまわれた行事食が、その地域独特の地域食になっていき、いつしか伝統食となっていくとのご指摘が、食文化の成立過程をよく表しており、大変興味深い内容のお話でした。
■ 何もないとは何がないのか? ー 日常の見直し時代。
○ 日常と非日常
よく、地方に行ったり、田舎に行ったりすると、ここは何もないと話したり、聞いたりします。過去を振り返ってみて、いったい何を持って、”ここには何もない”と言っていたのだろうと思い返すようになりました。
旅行やレジャーといえば、希少性のある、日常にはない非日常的な施設や行為が目的で出かけることが多いのですが、その非日常的施設や行為が”有る/無し”という視点で、勝手に決めつけていたようです。考えてみれば人が住んでいるところは、どこに行ったとしても日常があるので、非日常的視点でのみ”有る/無し”を判断し、決めつけてしまうのは乱暴すぎることがだんだんわかってきました。
○ 日常の価値
希少性のある非日常的施設や行為はもちろん価値は高いのですが、旅行、レジャーブームにより、多くの人々がそれらを求めるあまり、希少性や非日常性の価値が思った以上に高騰してしまい、退屈な日常生活の価値が低いものという評価基準が社会の常識となってしまいました。
○ 歴史も日常に目を向け始めた
歴史においても、庶民の日常生活の価値が見直されているようです。やり尽くされた為政者の歴史から、庶民の生活に焦点を当てた歴史が掘り出されるようになってきました。人間味あふれる庶民の暮らしの歴史は思いがけないことも多々あり、大変おもしろいです。
○ 評価基準の転換
近年、脚光を浴びているコミュニティーデザインは、ありふれた日常は低価値であるという概念を逆転させ、日常の価値を自らとらえ直し再定義するという評価基準の転換と再定義から始まるようです。(ここには何もないのではなく、こんなにも日常を支える様々な価値あるものにあふれている・・・という感じでしょうか。)
先ほどご紹介した食の文化祭は、このような評価基準の転換により、日常を彩る家庭食に焦点をあたコミュニティーデザインといってもよさそうです。
これらの価値を考え直すことは、”原点”とは何であったのかを考えることではないでしょうか?これからどんな考え方で、どのような目的でライフスタイルを確立してゆくのか、原点を見直し(=リ・イマジネーションし)作り直してゆくときのようです。
■ 自分で作る=セルフビルド
○ 弁当を自分で作る
ある小学校で、自分で弁当を作る日をつくり実施してみたそうです。便利なシステム内にいると自分が何に支えられているのかがわかない状態で日々を過ごしてしまいます。私も学生の頃、日々のお弁当や食事は自然と出てくるのが当たり前だと思っていました。これを認識するために自分で弁当を作ってみる、つまり、セルフビルドしてみるという試みです。
○ セルフビルドはたのしい
徐々に広がりを見せるセルフビルド。それは、生活とは何かを探している行為のようにも見えます。全てを合理的に計算の遡上に載せてしまう資本主義的考え方が、体の感覚的なものと齟齬をきたし、無理な考えなのがバレた感じではないでしょうか?他人に任せてしまい消費することで片付けてしまう意味に魅力がなくなってきた(飽きた?)ようです。もともと人が持っている手を動かしてものを作る行為が復活するのは至極当然の健全なことのように思います。
○ セルフビルドx空き屋リノベーション
有り余る建物をどうしてゆくのかは人口減少時代に突入している日本では、すでに社会問題になっています。現状の用途に合わない建物を有効利用するには、セルフビルドが有効であり、理にかなっています。むかしのように、自らの生活を自らの手で作っていくことが近代のライフスタイルにも有効で、必要なことなのではないでしょうか。
■ ポップカルチャー(サブカルチャー)X行事食
これは、これからの社会で最も必要で、最も大きな課題である”食育”と”食文化の伝承”についての具体的対応方法として有効かもしれません。偉大なる家庭内食文化が”弧食化”により有効に活用されず、次世代へと伝わることもなく、消え去ってきているようです。現在の貧弱な”弧食”の皆さんの食事を改善するために、家庭内食文化を若者たちの日常にどのように忍び込ませ、伝承させていくのか、次のようなご提案がありました。
何かのイベントに集まったときに、必ずといっていいほど”食”がからみます。その時に手作りのもので楽しむ食事、つまり、”行事食”を文化にしていこうというご提案です。
食に限らず、何かを広めたり、伝承していこうとする場合、すでに存在している若者達の集まりやコミュニティーにうまく滑り込ませることができれば、自然に広がり、伝えていくことができるかもしれません。
予想以上に貧弱な若者たちの日常”食”文化。日本全体をみても一世帯二人以下が半数を占めるようになった中で、便利であるが故の退化(?)状態の食文化をどのように立て直すのか。大きな課題です。
■ “場”
森さんは打ち合わせ当初から”場”の重要性を指摘されていました。
つまり、”場”に”食”ありです。もしくは、”場”と”食”をつなげよう、それがこれからの社会に必要ではないかというご指摘です。
私なりに考えてみると、第一の場所が住居、第二の場所が職場、そして、住居と職場以外の場、第三の場所=”サードプレイス”と”食”をつなげることで新たなライフスタイルを確立できるのではないかということです。
もちろん、住居、職場での食が最も大切なのですが、二人以下の世帯が増加し、家庭があったとしても共働きも多くなり、職場も不安定化する中、孤立し弧食となってしまった場合、これらの場所以外の”場”がもう一つあり、複数人で食卓を囲うような機会を作ることができれば、生活に少しかも知れませんが、安定感や安らぎ、安心を得ることができるのではないでしょうか?。
人口減+高齢化+少子化の社会では、余った建物をサードプレイスとして”食”も含めて活用することにより、生活圏コミュニティー全体のライフスタイルを確立できるのではないかと思っています。
■ 仮設住宅での食の文化祭
ボランティアのみなさんに、やってもらうばかりでは、実は、心の負担になるという中で出てきた自然的行為が、仮設住宅で行われた”食の文化祭”だそうです。仮設住宅にお住まいの方々が、家庭料理を持ち寄って開いた文化祭。大震災とは写真や映像に残らない多くの無形のものも破壊してしまうようです。もしかすると、行事食、伝統食、地域食、それを支える多くの家庭の日常食を破壊してしまったかもしれません。
■ 食xビンテージ 食のビンテージとは何でしょうか?
ビンテージは、個人からわき出てくる感性が元になり成立しています。ですから、広く社会に共感を得るというよりも、サブカル的な一部の島社会の中で強く共感を得るということになりそうです。個人の感性に立脚したビンテージ的価値を基礎とした文化は、サブカルチャーとの親和性がよいので、着実に広がり、定着してゆく文化ではないかと考えています。
多様なる日本食、これは、日本の風土とそこに生活している日本人気質が成し得る独自の多様なる文化です。代々受け継がれてきた食文化が、いきすぎた孤立化により途絶えようとしています。便利になりすぎた分、今や、日常的日本食がビンテージ化してきたといってもよいかもしれません。希少価値となってきた(?)日常の日本食。森さんのご指摘された試みを参考に再生していく必要がありそうです。
「食の文化祭」「行事食」「伝統食」「地域食」「弧食」「携帯食(けいたいしょく)」「小昼(こびる)」など、”食”にまつわる様々な言葉。さすが日本人、こういった面からみても、もう既にビンテージ化(サブカル化)しているように思えてきました。多様な食の分類が、それぞれの価値の定義など、ビンテージ化の基礎となる評価基準の設定に役立ちます。これからも、よりディープに発展していくポップカルチャー(サブカルチャー)。日本の日常食をビンテージ(サブカル)と位置づけることにより新たな展開や広がりが可能になるのではないでしょうか?
これまで市場にまかせ、サブカル的に発展(?)してきた若者を取り巻く日本の日常的大衆”食”文化の方向性を軌道修正し、森さんが提示してくださった、日本の食の原点である四品に立ち返り、若者たちにも受け入れ可能な新たな食文化を作り上げていく時がきているようです。
■ 二つの不自由
「行きすぎた自由・多様化による不自由」と「付加されすぎた機能や超過サービスによる不自由」
豊かさを求め、自由を望んだ結果、わずらわしい前近代的なつながりを断ち切ったのはよかったのですが、自由な中で自分勝手が行きすぎたあまり、助けが必要なときに誰もいなくなってしまった現代人。個人を中心とした多様なサブカルチャーが発展したのはよかったですが、ますます自由→個人→孤独へと進んでいる結果、行動が制限されることもでてきたようです。(多様化と自由超過の中の不自由)
明日は今日よりよくなるという右肩上がりの時代は、付加機能の増加分や便利性が消費の動機となり利益となる、機能のバージョンアップ、多機能化が前提の時代。
いつしか使う人はおいていかれ、モノだけが独自の進化を進み出す。いつしか、これだけグローバル化した情報化、自由貿易世界にも関わらず、”ガラパゴス化”という現象まで引き起こしました。(これはこれでサブカル的視点ではおもしろい)
食生活においても、コンビニ、ファストフードなど外食産業の発達により便利になりました。しかし、自分で食事を作らなくなり食文化は衰退してゆくばかりです。この状態は、食の自由が奪われているといってもよいのではないでしょうか?(機能・サービス超過による不自由)
先ほど指摘したように、賃貸・分譲マンションや住宅産業の住居でも同様です。
■ 最後に
第1回目が”衣”、第2回目が”働”、今回の第3回目が”食”、次回の第4回目が”街”です。”住”空間を取り巻くこれらの生活空間を、新時代にあった新しいライフスタイルにどのようにリノベーションさせてゆくのか?第3回目を迎えた今回も、大きなヒントが得られた意義深いお話となりました。
次回も楽しみですね。
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福岡ビンテージビルカレッジ :http://www.space-r.net/bunkasai/college
第3回 食文化から生まれるビンテージ/ 2013年2月2日(土)
タイトル : 「伝統食の復権。今、見直される日本。私たちの帰る味はどこに?」~農山漁村に残る食のビンテージを巡る冒険~
講師 森千鶴子氏(森の新聞社代表、福岡教育大学非常勤講師)
【略歴】
1968年生まれ。福岡県宗像市出身。バブル時代に、東京でコピーライターをしていたが、消費社会にどっぷり浸かっている自分に限界を感 じ、親の病気を口実に96年に、福岡に帰郷。以降、九州を中心に農山漁村を歩きながら、食文化、農業等の記事を書くフリーライターとなる。2002年より 2010年までの8年間は、日田市中津江村の廃校活用住宅に移住。以来、書くことにあきたらず、食を核とした地域づくり活動や、村おこしの支援、子どもた ちへの食育活動などに関わっていく。2011年より福岡市在住。天神パークビルの屋上稲作「たのしイネ」アドバイザー。都市と農村、子どもたちや若者と農 村の、あたたかな関係づくりを模索中。
【活動紹介】
農業専門誌などへの執筆のほか、地域を見つめ直し、未来の暮らしに活かす「地元学」の指導やワークショップ、特産品開発、農産加工等の助言も行っている。
2000 年より、各地の食資源の見つめ直しによる、地域づくり活動「食の文化祭」「家庭料理大集合」の取り組みをサポート「築上つけもの博覧会(福岡県築上 町)」、「古賀のみかんの文化祭(福岡県古賀市)」、「高千穂のこびる発表会(宮崎県高千穂町)」など。関わった地域は70ヶ所以上になる。
農林水産省選定「地産地消の仕事人」、六次産業化ボランタリープランナー
主催:NPO法人 福岡ビルストック研究会/(株)スペースRデザイン/吉原住宅(有)
コーディネーター
吉原勝己氏(吉原住宅(有)代表取締役)/信濃康博(信濃設計研究所所長)
場所:山王マンション/1F
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第1回 私のVINTAGE LIFE / 2012年12月16日(日)終了
第2回 オフィス文化から生まれるビンテージ / 2013年1月19日(土)終了
第3回 食文化から生まれるビンテージ / 2013年2月2日(土)終了
次回
第4回 京都のビンテージが生みだす都市再生 / 2013年3月9日(土)
こちらもご覧ください
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第2回 「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想
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