「続・山王R」01:解体工事1

10月 18th, 2012

■ 「続・山王R~NEW STANDARD RENOVATION~」 解体工事が始まりました。


↑ このマーク見たことあるでしょうか?時代を感じますね。ちょっとしたマークも時代表現であることがわかります。


↑ はたしてこの天井は残るのでしょうか?窓の障子は残るのでしょうか?


↑ 地袋です。この地袋はどうなるでしょうか?先ほどのマークは、地袋の上に置いてある洗面器に付いていたものです。
この洗面器の運命は。


↑ 収納のフスマ扉です。これはどうしましょう?


↑ 取り外されたキッチン、バランス釜、ポリ浴槽・・・これらは廃棄されます。

はたしてどのような部屋に生まれ変わるのでしょうか?
 
 
 
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10-照明工事/カーテン工事
09-カーテンレール取付工事/エアコン工事
08-塗装工事
07-電線管
06-大工工事2
05-大工工事
04- 新設配管工事
03- 解体工事2
02- 現場見学
01- 解体工事1

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「続・山王R~NEW STANDARD RENOVATION~」:山王マンションリノベーションⅢ
場所:福岡県福岡市
山王マンション:築45年、RC6階建
元間取:3DK-48平米
所有:吉原住宅㈱
運営:㈱スペースR デザイン
施工:シーズ・クリエイションズ㈱(Shii’s Creations)
設計:信濃設計研究所/nano Architects

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「リ・イマジネーションの世界」  仮面ライダーディケイドxストック時代のリノベーション

9月 16th, 2012

「リ・イマジネーションの世界」
仮面ライダーディケイドxストック時代のリノベーション

『おのれディケイド、ストック時代のリノベーションの世界を的確かつ創造的に表現するとは!
いま、日本は「リ・イマジネーションの世界」に突入していたのだ・・・』

■ 記憶喪失

わたしは、主人公・門矢士の記憶喪失に、「血縁」で縛られた故郷を捨て「自由」を求め都会に出てきた若者たちの姿をみた。

・記憶喪失門矢士の2つの旅の目的
主人公・門矢士は記憶を失い、ディケイドライバーを渡され、九つの世界を旅することを決める。目的は世界を救うため、しかし預言者・鳴滝には「世界の破壊者」と罵られ続け、忌み嫌われる存在として描かれる。それぞれの世界で暴れまわる「よそ者」ディケイドは、自分の名を聞かれるとこう叫ぶ「通りすがりの仮面ライダー」
自分の居るべき世界なのかを確認するために、常に首からぶら下げた写真機で写真を撮るのだが、まともに写らない。その写真を見て、自分の世界=居場所ではないことを悟る。「この世界も自分の居る世界ではないのか・・・」士は落胆し次の世界へと旅立つ。士のもう一つの目的は、自分の世界=居場所をみつけること。

・ 近代化=都市化+核家族化+持ち家 → 近代大衆居住空間
20世紀/昭和時代、都市は常に住居不足であった。近代化=工業化による人手不足により、全国各地から都市へ人々が大移動。村から出てきた若者たちは、雇い主の家に住みこみや、長屋、風呂トイレ別の木賃アパート3畳などに住んで賃金労働者やサラリーマンとなっていった。高度経済成長とともに、年功序列的に徐々に住まいも広くなり、設備もグレードアップ、居住空間の快適化を果たしてゆく。その後結婚、子供2人の4人家族という核家族を作り、郊外に一戸建て住宅を建てるか、マンションを購入という経済成長期の標準モデルが確立、このレールの上を多くの田舎からでてきた若者たちが早足に歩んできた。このような、大移動、核家族、都心/郊外、一戸建て/集合住宅、などの居住空間の変遷が、近代大衆居住空間の歴史そのものである。

・ 血縁の田舎→自由+希望+自立の都会での居場所
田舎から都市への大移動は、近代化=工業化による人手不足から始まったのだが。人々が集まり出すと、都市特有の魅力に引きつけられて、爆発的に人々が集まりだした。若者たちは、土地に根ざしたがんじがらめの断ち切ることのできない不自由で可能性が封じられた自分の居場所=「血縁」から逃げ出すために、自由や平等、可能性への挑戦、豊さ、楽しさなどを求め、都会へ出ていった。都会へ出てくると、都市特有の匿名性により、まとわりついてきた田舎の「縁」がリセットされたのではないかと思わせてくれる記憶喪失状態の日常を、右肩上がりの希望に満ちた未来だけを向いて邁進することでやり過ごすことができた。

こうして自立した人々は、田舎の縁をリセットし、記憶喪失を装い、住宅不足を解消するために大量に供給された全国同仕様の無味乾燥的な均質空間で生活する都会人となり、近代人を演じて暮らしてきた。はたして、そうした都会人=近代人は、都市の中に、郊外に、自分の居場所を見つけ出すことができたのだろうか?自分の世界=居場所を探す旅を続ける門矢士のように、改めて直視すれば、ぼやけた、二重露出の写真のような日常生活を駆け足で過ごしてきた(=旅してきた)だけではなかったのか?

・近代化=「無縁」の穴を埋めるのは「仲間」
門矢士のように、大きな目的、仕事、超人的な力があれば、血縁や記憶がリセット、喪失しても生きていける。しかし、逆境にたたされ、迷いが出てきたとき、士といえども心の脆弱性を露呈する。旅が進むにつれ、血縁や過去にすがれない記憶喪失の士にとって、一番大切なのは「仲間」であることを知る。

近年「無縁社会」が問題化しているのだが、そもそも、近代化とは「無縁」は良いことであり、目的としてきたといえば言い過ぎかもしれないが、日本が近代人になるには、「家」の事情を優先し、個人の権利、可能性、自立を閉ざしてしまう前近代的な「縁」は断ち切らなければならないものとして嫌われ、悪いこととされてきた。

時代は変わり、低成長、人口減少時代を迎え、昨年の大震災や「無縁社会」の問題化などの影響により、「縁」や「繋がり」が、これからの生活では大切であるという見直しが行われ始めた。田舎のがんじがらめの血縁に変わる、都会人=近代人の「縁」や「繋がり」など生活圏を支える小さな地域の助け合いシステムである。
門矢士のように、血縁を断ち切った近代人にとって唯一の支えとなる「仲間」を「縁」として有効的に構築することができるのかが、新時代のコミュニティの一つの目標となる。

■ リノベーションの手始めは、建物の竣工した時代”だいたい”知ること。

門矢士一行は、自動的にほかのライダーのいる世界へ平行移動させられる。そこではまず、その世界を調査し、そこで何をしたらよいのか目的をみつけ出す。そして、士はこういうのだ、「だいたいわかった」

2004年、私がリノベーションを初めて設計した時、何をしたらよいのか訳も分からず、手がかりとしてまずは建物の新築当時の社会状況を調てみた。時代に取り残された部屋=世界を目の前にした時、私は、何も考えずにすべてを解体し、ただ新しい「今」をはめ込めばよいとは思えなかった。そこで、建物の竣工当時はどのような時代で、どのような社会で、どのようなデザイン・素材・工法などが使われていたのかを調べ、「だいたい」把握し、リノベーションの手がかりとした。

■ 破壊者ではなく、融合的創造者: リ・イマジネーター

鳴滝の叫ぶ「ディケイドが世界の破壊者・・・」というお決まりのセリフは、リノベーションの世界では、まるで、古びてはいるが建設当時のままの世界をなんとか保持している部屋を、何も考えずに解体、スケルトン状態にしてしまう破壊者であるから気をつけろ、といわれているように聞こえる。

しかし、ディケイドは、それぞれの世界を単独で解体してしまうのではなく、各世界のライダーたちと協力(コラボ)し敵(?)を倒し「仲間」となる。それはまるで、古い部屋(=世界)の価値を見つけ出し、活かし、再利用し(つまり仲間になり)、新たな価値を付け加え、融合的創造に成功したリノベーションルームのようだ。
これが、「リ・イマジネーションの世界」であり意味だったのだ。いくらディケイドが最強だからといって、その世界のライダー不在に敵をたおしても、もしくは、ライダーたちをたおしてしまっても、物語としてなんのおもしろみもない。その世界のライダーの価値(=その世界の秩序)を損なうことなく、コラボレーション(=融合的創造)で敵をたおすところにおもしろみ、魅力があるのだ。

まさにモダニズムを通り過ぎたストック時代のリノベーションの世界そのもの、モダニズムを通りすぎたポスト(アフター?)モダニズムの世界とは、「リ・イマジネーションの世界」であり、融合的創造者「リ・イマジネーター」の活躍する世界だったのだ。

■ データベース化=フラット化

モダニズムにより生み出された数々の革新的デザイン。20世紀/近代では、それらは適宜評価され、デザインヒエラルキーをなんとか維持することができていた。しかし、そのあと訪れた情報過多のデータベース化時代には、それらは、整地フラット化され、時代を創ってきたデザインでさえ、一つのサンプルとして消費される素材となってしまった。

恐ろしいことに、リノベーションでは素人が趣味でデザインしたものも、インテリアデザイナーが洗練したイメージでデザインしたものも、建築家がこねくり回してデザインしたものも、同列に並べられてしまう。また,DIYで施工されたものも、職人が匠の技で施工されたものも、デザイン同様、同列に並べられてしまう。これが、データベース化時代のフラット化してしまった文化の特色なのだ。

■ 「自分の好きな服を選ぶように、自分好みのデザインの部屋に住む」ファッション化されたリノベーションルームは、陳列された服のように、住み手の嗜好により選別される。

・サンプリング、カットアップ、リミックス→ファッション化するデザイン
ディケイドが、各仮面ライダーの世界で獲得してきたことは、仮面ライダーの「サンプリング」(=データベース化)である。一度サンプリングしカード状にデータベース化してしまえば、好きな仮面ライダーを自由に取り出し、カットアップ、リミックスし活用することができる。
リノベーションのデザインも同様に、新旧、プロアマ問わず「サンプリング」してしまいさえすれば、カットアップ、リミックスにより、割と簡単にコラージュ的手法で誰もがデザインをすることができる。インテリアデザインもファッション化してしまった。

・フォームチェンジ
ディケイドがほかのライダーにフォームチェンジするとき、なぜそのライダーを選んだのかはそれほど大きな意味はないようだ。フォームチェンジ自体が目的といっていい。フラット化した整地空間は時に残酷だ。カード状にデータベース化されてしまった仮面ライダーは、素材のひとつとして、簡単に惜しみなく消費されてしまう。各世界で輝いていた主役のライダー達も、一アイテムにすぎない。夢のようなライダー達のコラボレーションが実現した場面であるにもかかわらず、次々と消費されていくライダー達を見ると、ありがたみがなくなり(価値低下)、寂しさも感じてしまうのはそのためだろう。

ファッション化したリノベーションルームも絶え間なきフォームチェンジを繰り返す時代になってしまった。いままで唯一保守的だった居住空間も、時代の大転換期をむかえ、大衆化(=ファッション化・ポップカルチャー化)されてしまった。それは、たとえ高評価の価値あるデザインだったとしても、社会の嗜好性の変化に伴い簡単にフォームチェンジされてしまう恐れが常につきまとうことを意味する。逆にいえば、リノベーションが浸透してきた現在、いかにフォームチェンジできるシステムを作り上げることができるのかがリノベーション世界の課題となっている。

・ディケイドコスチュームデザイン → 「プラスのデザイン」「マイナスのデザイン」
ディケイドコンプリートフォームでは、コスチュームに露骨に各ライダーのカードが取り付けられ、選ばれたベースとなる仮面ライダーカードが、頭部ひたいにデカデカと取り付いている。意図して採用したのはわかるのだが、まさに取ってつけたような露骨なチープデザイン。このデザインの良し悪しはそれぞれあるだろうが「品」が落ちてしまったのは間違いない。
この現象は、あとから少しだけ手を入れる場合のデザインの難しさを表している。デザインは、得てして既存部分に何かを付加するようなものになりがちだ。リノベーションでは、何かを付け加える「プラスのデザイン」と、何かを減らしていく「マイナスのデザイン」という手法がある。実は、何かを減らす「マイナスのデザイン」が空間の質を上げることも多々ある。加えるのか、減らすのか、どちらが価値を上げるのか難しい選択である。

■ 都市の中の居場所を本当に考える時代

・旅の途中
はたして、門矢士の世界は見つかったのか?
結局、「旅そのものが士の世界である」と結論づける。これは、過去をリセット(=無縁)した都市の中の近代人には、「地」と「縁」による居場所はなく、旅の途中の世界に生きるしかないことを表しているようだ。都市の中の近代人には、一生、根をはるような居場所=世界はなく、偶然出会った仲間と一緒に旅をする中で、時に助け合いながら、競争社会を生き抜いてゆくしかないのか・・・

・持ち家なのか、賃貸なのか?
自己所有による満足感、資産価値、充足感、ステイタス、というプラス面と、大震災で顕著に露呈したリスク。賃貸物件の移動の自由と、空間変更の不自由、震災等の災害面での低リスク。新築信仰者の減少、空間価値のファッション化・多様化、居住空間のリノベーションの定着、これらの現象は生活をどのように変えていくのだろうか?
人口減少、750万戸といわれる空き家数、スクラップ&ビルドの環境面からと経済面からの否定、というストック時代において大衆化(ファッション化)した居住空間。モダニズムという大提案時代を過ぎ、これからやっと近代以降の持続可能な大衆居住空間の確立作業が始まったのではないだろうか?

■ ストック時代

「人々の記憶に残る限りヒーローは何度でも蘇る」
そう、ストック時代で重要なのは、いかに記憶に残していくのか、である

ストック時代とは
1,記憶 データベース化
2,継承 意味、技術、技  伝承・維持管理
3,再構築、再創造、リ・イマジネーション

ディケイドの物語とは「ストック時代の新OS作成物語」
 
 

 
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三大水回り空間の克服 – 近代の日本の大衆居住空間は、何を目指してきたのか?

8月 17th, 2012

■ 近代以降の日本の大衆居住空間は、何を目指してきたのか? ”三大水回り空間の克服”

近代以前、炊事場は裏手の土間。トイレや湯屋は別棟だったり、最も裏の部分に配置されていました。
このような状況だった水回りを考えると、”トイレ、キッチン、お風呂”=三大水回り空間の忌避性を改善し、快適な居住空間化することが日本人の悲願だったのではないでしょうか。

多湿な日本において、木・土・紙・藁・草などでできている建築物を、水・湿気からどのように守るのかが永遠の課題でした。
近代に入り、新素材が現れます。鉄、ガラス、コンクリート、プラスチック、化粧版、科学塗料、防水シート・・・など
誰もが望んだ近代建築の姿は、これらの、新素材と新工法を開発し、三大忌避空間である水回りを快適な住空間にとりこむことでした。

Ⅰ.トイレ
1956年(S31)日本住宅公団が洋式便器を採用します。1964年(S39)東京オリンピックを期に徐々に広がり、洋式便器が和式便器を上回るのは、1977年(S52)のことになります。1980年(S55)には温水洗浄便座が発売、1993年(H05)タンクレストイレが発売されました。
(同時にトイレットペーパーの歴史も参照してください)

簡単に振り返ると、
70年代に洋式化、80年代に快適化、90年代にインテリア化(=デザイン化)が成し遂げられたといえそうです。
トイレが快適な居住空間化されたのは、狭苦しい半畳広さのトイレがなくなり、温水洗浄便座が普及、デザインにまで意識されるようになった頃からでしょう。

Ⅱ.キッチン
近代建築としてのキッチン設備も、大変な苦労の上に様々な問題を克服していっています。
洋式便器と同様、1956年(S31)日本住宅公団がステンレスキッチンを採用。2年後の1958年(S33)公団住宅用換気扇が採用されます。それまでは、キッチンコンロ部分に換気扇がなく、窓を開けるだけで排気していまいた。古い建物を見た時に、キッチンがステンレスキッチンだったのか、換気扇が付いていたのかなどがわかると、だいたいの年代が推測できます。
1973年(S48)システムキッチンが発売、次の年にレンジフードファンができます。しかし、シロッコファンの深型レンジフードが完成するのは10年後の1983年(S58)まで待たなければなりませんでした。ここでやっと、キッチンコンロの排気をダクト化することができ、アイランド型など、キッチンの位置を比較的自由にレイアウトできるようになったのです。

簡単に振り返ると、
50年代後半から、人大研ぎ出しシンクから夢の様なステンレスキッチンへ、換気扇の採用、70年代にシステムキッチン化、80年代にシロッコファンの深型レンジフード化、といえそうです。
キッチンが快適な居住空間化されたのは、システムキッチン+シロッコファンのセットが揃った80年代頃からでしょう。

Ⅲ.お風呂
お風呂は防水問題が常につきまといます。近代建築として、都市型集合住宅が成り立つには、どうしても防水問題を克服しなければなりません。防水化と乾式化が両立した工業製品化されたユニットバスがどうしても必要でした。
1964年(S39)東京オリンピックの開催に合わせ、ホテルニューオータニに世界初のユニットバスが納入されました。しかし、まだ一般の住宅では、木の浴槽から、FRPやステンレスの浴槽に変わった程度でした。1966年(S41)に集合住宅用ユニットバスが発売され、約10年後の1977年(S52)戸建用ユニットバスが発売されます。70年代後半の賃貸マンションを見てみると、多くのマンションが、まだ、タイル+ポリ浴槽+バランス釜という組み合わせです。一般的な居住空間がユニットバス化していくのは、80年代に入ってからのようです。

簡単に振り返ると、
60年代ユニットバス化の始まり、木の浴槽から新素材の浴槽へ、80~90年代にやっとユニットバスが一般化し、快適な居住空間化されたといえそうです。

 

 
■ トイレ、キッチンと近代化は成し遂げられ、最後にお風呂がユニット化された時点で、三大忌避空間は”快適な居住空間化”され、近代建築として完成されました。

基本的な機能を確立した三大水回りは、その後、生活をささえる裏方機能から、徐々に住空間の主役となっていきます。
水回り空間のデザイン化=インテリア化です。

デザイン化された水回り設備は、今や、記号化されることも増えてきました。例えば、均質空間化された用途不明の空間にタンクレストイレが置かれた瞬間、そこがトイレとなります。オフィスのような空間でも、トイレ、キッチン、お風呂というモノを置くと、それは住宅を表します。

近代建築は、三大水回り空間の忌避性を克服、制圧しました。

 

 
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[ CQ ] → seek you ? : 山王マンション603リノベーション-01

7月 9th, 2012

■ 作品アーカイブ 2004年夏

この部屋を選ぶ人が求めているもの、それは・・・”物語”

リノベーションには ”物語” がよく似合う。
 
 
山王マンション603-1
 
 
■ プロローグ

1965年、福岡市博多区山王に、時代を象徴する最新型マンションが建設された。

・・・39年後の2004年。古びたマンションの1室に一人の女性が潜んでいる。
コードネームは『ドラゴンフライ』・・・次の仕事の依頼を待っている。

ドラゴンフライが部屋へ戻ってきた。重い鉄の扉を開け玄関に入り込む。
床にはガラスモザイクタイル。この床にはコンピュータセンサーが組み込まれ人物を識別。
ドラゴンフライを認識、アコーディオンカーテンが自動的に開き始める。
部屋に入り込んだドラゴンフライが指を鳴らす。するとSUS403のキッチンが壁から自動的に飛び出してきた。
コーヒーがカップに注がれる。その間アルミ製の扉を開け洗面・シャワー室に入る。モザイクタイルのスリット状の照明が
発光、シャワーヘッドから調節されたお湯が吹き出す・・・

コーヒーカップを持ちながらリビングルームのパーソナルコンピュータの前へ。パントンチェアに座り情報をチェック。
BGMはメロウ。
再び指を鳴らすと、ベッドルームのアコーディオンカーテンが自動的に開き始める。ベッドに飛び込むドラゴンフライ・・・それと同時に壁掛けモニターに次の仕事の依頼が入る。
二つ返事で引き受けると壁からゲンナマが次々と噴き出してきた・・・

■ 本編は住人が制作 Seek You !

 
 
2012年、久しぶりにこの部屋に入ることができました。
もともと古い部屋は、8年過ぎても古さは感じません。これが古い建物がもつ価値の一つです。
 
ここで暮らしてきた住人たちは、どのような”物語”を紡ぎだしてきたのでしょうか?
次の住人が決まり、また、新たな”物語”が始まっています。
 
 

WORKS : 山王マンション603/402リノベーション
→ http://www.nano-architects.com/works/12.html

STORY:山王マンション リノベーション Ⅰ期 : 2004年 福岡のリノベーション黎明期
→ http://www.nano-architects.com/blog/renovation-2/sannou01

 

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リノベーションとは、生活環境のサードプレイス化である。(?)

6月 21st, 2012

■ 近代建築が目指したライフスタイル

近代建築的(モダニズム的)集合住宅が本格的に建ち始めたのは関東大震災の復興を目的につくられた”同潤会アパート”でした。これは、アジアの盟主たる日本にふさわしい耐震・不燃化した都市型集合住宅を建設し、生活を西洋化させ、欧米に遅れをとった日本の近代化を成し遂げることが目的でした。
しかし、現実は、外観はRCの近代建築でしたが、室内は畳敷き・フスマ・障子・押入れ・欄間・地袋などの和風な内装でした。戦後、DKが発明され、家事空間の改善と食寝分離を基本理念に、日本型の近代都市型居住空間が発展していきます。賃貸集合住宅では近代的外観に畳敷きの内装という時期が長く続いていましたので、畳の上に絨毯をひいたり、ロール状のフローリングを敷いたりして、生活の西洋化を入居者が独自に行なっていました。引越しの時、テーブルの足の跡が畳にクッキリと4ヶ所残っているのが印象的で、いまだに覚えています。
本格的に賃貸集合住宅が畳からフローリングに切り替わるのは、80年代以降からでしょうか(?)経済発展をした日本に自信を持った若者を中心に、前近代的な畳敷和風デザインの部屋が嫌われ、押入れ・フスマ/障子もなくなり、ビニールクロス・ポリ合板のドア・クッションフロアー+ユニットバスというシンプルな(実は安価で安普請な)内装に変わっていきます。学生時代一番人気は、なんといっても”新築+フローリング”という状況だったのを思い出します。現在は基本的にこの流れの延長上にいるのですが、今世紀初頭、別の流れが出てきました。それが”リノベーション現象”です。

■ リノベーション現象とは、ポップカルチャー化現象である。

「自分の着たい服を着るように、”自分の住みたいデザインに住む” 時代」

リノベーション現象とは、借りものの=洋風化・欧米化を目指した近代化=モダニズムを卒業し、現在の日本人にとって本当に住みたい住環境デザインを取り戻すための大衆化運動のような気がします。
現在の日本は世界の中で最もポップカルチャーが進化し、他国の追随を許さずガラパゴス化しています。この、ポップカルチャーにあらゆる分野がのみ込まれている中、同潤会アパートから1世紀弱過ぎて、やっと、遅まきながら賃貸集合住宅も”リノベーション”というポップカルチャー化現象にのみ込まれ始めたのです。
都市の住居(=箱モノ)不足は床面積だけを見れば供給過剰になり目的は達成、その上、人口減少、少子化、低成長時代という状況で、貸し手優位から借り手優位に転換するという状況です。一方、衣服→アクセサリー→小物・雑貨→イス→家具→と拡大してきた感性領域がインテリアまで到達、インテリも個人を基準とした感性領域となりました。こういった状況もあり、”リノベーション”は瞬く間に広がっていきました。表面だけを新しくする、見た目だけが問題な今までの”りフォーム”とは根本的に違います。
広がっていくリノベーション空間を見ると、モダニズムが課題としてきた諸問題がまるで無かったかのような自由なデザインが蔓延しています。自分が着たい服を着るように、自分の住みたいデザインの部屋をつくる時代がきたのです。(インテリアのファッション化)

 
 
■ リノベーションとは、生活環境のサードプレイス化である(?)

グローバル化の中で本物の資本主義がきているようで、日本全体が経済低成長の中で苦しんでいるように見えます。(私はバブル時代を知っているのでそう見えるだけのような気もしますが・・・)いまだモダニズム理論で形作られている社会と、激しい変化をしている現状=フラット化してゆくポップカルチャー社会に、激しいギャップが生じ、仕事環境、家庭環境ともに不安定化しています。安定した自分を長期的に維持するために、生活環境の”サードプレイス化”が進んでいるのではないでしょうか?
住空間のリノベーション、仕事空間のリノベーションのデザインをよく見てみると、モダニズムデザインが依然主流としてありますが、他方、おもしろいのはポップカルチャーデザイン(サブカルも含め)のインテリアではないでしょうか?これは、モダンデザインを根底に、和風とか、洋風とか、アジア風などの”風”的デザインテイストを取りつつも、独自の感性でデザインしていることがよくわかります。それは、借り物の感性ではなく、自分の中から湧き出てくる感性でできています。ちょっと変に見えるところも味となり独特な空間となっています。
これらの現象を見ると、生活環境自体をポップカルチャー(サブカルチャー)でまとい、空間自体に戯れられうような空間、つまり、”戯れ空間”をつくるのが目的のように見えます。住居も職場も(その他の空間も)自分の居心地の良い空間=”戯れ空間”で埋めてしまいたいのが、現在の若者たちの希望ではないでしょうか?
近代=モダニズムは、機能を分類し、それぞれの役割を与える論理でした。住空間、仕事場、遊び場、商空間、リラックス空間など、機能と空間がはっきり定義・分類され、都市の中に配置されてきました。しかし、これも進化したポップカルチャーが浸蝕、各機能・空間は融合してきています。自宅で仕事したり、オフィスをリビング的にしたり、居住空間、仕事空間、商業空間いずれにかかわらずカフェスタイルをとりいれたり・・・よく見かけるようになりました。
社会の不安定化の中の必要性としてのサードプレイス。自分の戯れ空間としてのサードプレイス。そして、発展系として、新社会保障・コミュニティなどとしてのサードプレイス等、有り余る「建物=箱モノ+リノベーション」により、社会はサードプレイス化していくのではないでしょうか?


 
 
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リノベーション現象とは、日本の居住空間のポップカルチャー化現象である。

5月 23rd, 2012

■ 昭和元年(1926年)、RC造・耐震・不燃化”同潤会アパート”から始まった日本の都市型近代集合住宅・・・21世紀初頭、個人が服を選ぶように、住む部屋を自分の感性にあったデザインで選ぶ ”リノベーション時代”が到来。

日本の居住空間は戦後約60年を経て、やっとポップ・カルチャー化(大衆化)が始まりました。今世紀に入り瞬く間に広まった”リノベーション現象”がその一つです。

衣服→アクセサリー→小物・雑貨→イス→家具→そして、やっと、インテリアまで日本人の個人領域が拡大しています。いまや、住む部屋のデザインが、自己表現として重要な時代です。インテリアも個人を基準とした感性領域となったのです。

■ リノベーションに携わって実感したことは、リノベーションが浸透し大衆化していく過程とは、今まで支配的だった堅固なヒエラルキーが崩れていく過程なのだということです。例えば”nLDK問題”などという建築専門家がなんやかんやいいながら繰り返し提案してきたものなど、ポップ・カルチャー(=ファッション)にかかってしまえば、問題そのものが無効化してしまい、いとも簡単にとんでもない空間が実現してしまいます。
リノベーション浸透過程で、煩雑・多様な大衆文化(ポップ・カルチャー)による社会規範崩壊現象をまのあたりにし、これがつまりポストモダン社会なのだと実感しました。(”後期モダン”・”アフターモダン”どれが適切な表現なのかよくかわかりませんが)”専門家のデザイン+職人の技”も、学生諸君のデザインも、リノベ好きのセルフリノベーションも、どれも選択肢の一つに過ぎず、入居者個人の感性領域に響くか、響かないか、それしかない世界になってしまったのです。(新築神話もそれほど機能しなくなっています)

下図:リノベーション時代のフラット化した居住空間概念図
X:デザイン理念・感性軸(かわいい・かっこいい時代は理念・理論もファッションアイテムの一つに過ぎない)
Y:個人領域の社会軸(社会的客観的地位と自己中心的満足と優劣はない)
Z:技術的表現軸(技術でさえ上手ければ良いというわけではなく、DIY的ぶっつけディティール・表現を望む人も多い)
デザイン性、社会性はフラット化、同一平面状に位置し優劣化できない。
個人領域の感性・価値が大きいか小さいかが重要な世界(風船が大きいか、小さいかだけ)
全体の空気は”かわいい・かっこいい”が支配している。

 


 
 
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廃虚防止法が本当に施行される時代になりました。

5月 2nd, 2012

■ ”床あまり”時代、それは、恐ろしいことに、”床”(=住居)が足りないから新しく建てる時代が終焉を迎えようとしている、ということです。

日本の総人口は2006-2007年頃を頂点に減少時代に突入。
”SQ”かかわり”の知能指数”によると少子化対策の最後のチャンスを逃してしまったとのこと。それは、第二次ベビーブーマー世代の一番下が35歳をこえてしまった2008年ころまでに対策が打てず、出生率を上げることができなかったということです。消費税よりも、社会保障制度改革よりも、最初にやらなければならなかったのは、”少子化対策”だったようです。なぜなら、考えてみれば上記の改革の前提条件になるのが人口動向だからです。
もしかすると超高層マンションが、超高層オフィスビルが、まるまる廃墟と化すかもしれない、それだけではなく、限界集落問題もでてきている現在、ひとつの街が廃墟となるかもしれません。買物、医療、教育・・・難民問題はいたるところで問題化しそうです。

全国の空き家:2008年757万戸、(10年で180万戸増加)「2012年4月8日朝日新聞デジタル」
総務省調べ2008年10月時点首都圏1都3県の空き家:185万戸5年間で20万戸増加(12%)「2012年2月11日日本経済新聞電子版」

■ 廃墟となった建物をどのように処理し、使われなくなった土地をどのように利用してゆくのかが問題になってきている都市では条例の制定がすすんでいます。

❍ 2010年(H22)10月:埼玉県所沢市 ― ”所沢市空き家等の適正管理に関する条例”

主な内容 ・空き家等の所有者の責務(空き家等の適正管理)
・実態調査及び適正管理措置
・助言、指導、勧告、命令、公表
・警察その他関係機関との連携 など

 

❍ 2012年(H24)年1月1日:和歌山県 ― ”景観支障防止条例”

主な内容 ・廃虚にさせないための最低条件
     所有者の責務として維持保全、景観支障状態にならにように状態規制を最低限の規範として規定
・周辺住民からの要請に基づく命令
     要請→勧告→命令→行政代執行可能

 

全国で、空き家対策条例(=廃墟防止法)を制定した自治体は、16都道府県31市町村(和歌山県は県が制定)「2012年4月8日朝日新聞デジタル」
 
❍ これらの条例は、”土地”や”建物”などの不動産は、たとえ私的所有物であっても、周辺環境を構成する要素として大きな影響力を持っているので、公共的な責務を負うことを社会のルールにしようというものです。
今や、”土地”や”建物”が私的所有物であっても、維持管理責任を果たさなければならない時代になってきました。もしかすると、家電リサイクル法のように、解体・廃棄料金を所有者に事前に負担させるような法律ができるかもしれません。
 
”空き地・空き家等外部不経済対策について” ―国土交通省の資料もありました。

国土交通省の資料による外部不経済土地利用例

1,”空き地”、”空き家”、”廃屋・廃虚等 → 高齢化等により所有者が利用管理できない(しない)
2,”耕作放棄地”、”手入れの行われていない山林” → 農林業の人手不足、不採算性
3,”資材置き場”、”残土置き場”、”廃棄物置き場(不許可)” → 管理者の管理不足
4,”ゴミ屋敷”

 

発生要因

1,人口減少・少子高齢化による需要変化
2,所有者の経済的事情
3,過疎化
4,相続による権利関係の複雑化
5,複雑な関係法令等 など

 

国土交通省の資料には”外部不経済”と表現されています。
*外部不経済
→ある経済主体の行動が、その費用の支払いや補償を行うことなく、他の経済主体に対して不利益や損失を及ぼすこと。例えば、公害。とのこと。
 
 
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近い将来、日本人はオフィスビルに住むようになる(?)

4月 10th, 2012

■ 人口減少時代、ゼロ成長時代をむかえている現在、すでに建物の ”床” が余っています。
みなさんも見かけていると思いますが、街中のガラ空き新築オフィスビルがそれを物語っています。
当然ながら住居としての ”床” も既に供給過剰状態。
これらの有り余った ”床” をどう利用していくのかが、日本全体の課題です。

○機能主義のおわり
住む場所、働く場所、遊ぶ場所、物を買う場所、余暇を過す場所・・・近代都市・建築計画は、機能に合わせて場所や空間を分類・分割し、整然と論理的に秩序立てて計画してきました。
しかし、既にその効力は失われつつあり、大きく見直す流れがでてきています。

○フレキシブルな均質空間
オフィスビルの第一条件として、”フレキシブル性”があります。
柱をなくし、大きな空間を提供、天井の照明、空調と床下のフリーアクセスフロアなど、フロアどの場所でも同様な機能をフレキシブルに提供できる均質空間をつくることがオフィスビル空間の特徴です。
このフレキシブル性を利用し、オフィス空間に ”住む” ことも考えられるのではないでしょうか?

○新しい集住
ワンフロアーに居住ボックスを設置し ”集住” する。
住む場所、働く場所、境界が曖昧になってきているライフスタイルが定着してきている今、”床” が余り、人口が減少し、低成長時代、オフィスビルに住んだとしてもおかしいことはありません。
近い将来、オフィスビルに住むようになるのではないでしょうか(?)

○新しいライフスタイルの模索
住居としての”床”も過剰状態なのだから、そこに住めばいいだけの話・・・それはそのとおりです。
しかし、上の絵のような住まい方は、オフィス空間のような、フレキシブル性のある均質的な大空間ならではの住まい方です。
オフィスビル全体を”フレキシブル性”を生かし、現況のままで、働く、住む、遊ぶ、買う、憩う・・・様々な機能を盛り込んで、街のようなビルにすれば、魅力ある生活空間に生まれ変わるのではないでしょうか?

とにかく、あいている”床”を使わないと、街が死んでいきます。
 
 
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