■ 学生のみなさんの作品評価基準について

3月 18th, 2013

福岡デザイン専門学校、1年生の自主研究発表会に参加させて頂きました。

毎年、この時期、3年連続で1年生の作品講評会と、1年後の成長した2年生の卒業制作展に参加させていただいております。この2年間の学生たちの成長を見続けている中で、1年生の作品のどこをみて、何を、どのように評価すればよいのかを(この時期だけですが(笑))考えています。じっくり考えてみれば作品評価には様々な視点が考えられ、なかなか評価基準が定まりません。

右肩上がりのまだみんなの目標がはっきりしていたメインカルチャー主体のモダニズムの時代から、低空水平飛行の個人の感性に立脚したサブカルチャー主体のリ・イマジネーションの世界に移行した日本で、私が20年以上前の学生時代に学んだ評価基準で今の学生の作品を評価することに私は違和感を感じ、独自の評価基準を模索しています。果たしてどのような視点で、どこを、どのように評価し、何を作者に伝えればよいのでしょうか?

■評価基準

去年の春からたったの数ヶ月、デザインの勉強を始めたばかりのみなさんが大半を占める1年生。自分のデザインを自ら作品として完成させ、発表会でプレゼンテーションするという大仕事に挑戦しています。

このような学びはじめの状態で、自分の作品を完成させるという課題を評価する場合、卒業制作の評価基準と同じなのはまずいのではないかと思い始め、自分なりに、どのような視点で、どのように評価し、それを学生のみなさんにどう伝えるのか、を考え始めました。学校の専攻は、建築、インテリア、店舗、ディスプレイ、家具、プロダクト、の6分野にわかれ、それぞれ学生たちが自分のやりたいことを自分で選択し、作品をつくります。評価は6分野すべて同じ土俵なので、優劣を決めるのは困難を極めます。(不可能といっても良かもしれません(笑))

■6分野の作品を同じ土俵でどう評価するのか(表評価)
そこで、私は、6分野の作品をなるべく客観的に、同じ土俵に並べるために、次のような評価基準を設定しました。

○評価基準Ⅰ

1,コンセプト
2,物語
3,アイデア
4,デザイン
5,プレゼンボード(A2、1,2枚)
6,発表(プロジェクターを使いプレゼ)

以上6つの要素にわけてみなさんの作品の特徴について考えてみました。6要素の意味としては以下のように考えていてます。

1,「コンセプト」「物語」→ 問題意識をもって「社会や自分と向き合あう」
1年生なので、テクニックというより「気持ち」「姿勢」「態度」
2,「アイデア」「デザイン」→ 作品をつくる「技術」
問題解決手法、デザイン処理、効果、効用
3,「プレゼンボード」「発表」→ 「他人に伝える力」
どこまで自分の思いや考え方を伝えられるか。
(なかなか思ったとおりに伝わらない。)

技術はまだ未熟な1年生にとって、何をするにも最も大切なのは、1の問題意識をもって「社会や自分と向き合あう」ことだと思ってはいますが、評価はあくまでも目の前の作品なので、大切さを伝えるのは難しく、教えるのも難しく、あまりうまくいきません。
次に「技術」。学校のプログラムはこれを中心に構成されてます。学生のみなさんが学校へ来ている目的であり、最も身につけたいことであり、向上していくのが実感としてわかり、学ぶ楽しさもここにあります。デザイン界で仕事をしていくには必ず必要な能力です。ただ、ハードデザインに偏っているので、これからの社会を見据えソフトデザイン部門を増やす必要がありそうです。
「他人に伝える力」はもしかすると、社会で生きていくために、誰しもが(時には「技術」より)最も必要なことかもしれません。すべての学校の教育プログラムでは、ここが抜け落ちているため、多くの人々が(私も)、社会に出てから苦労してしまいます。

これらを見ると、評価基準としては、従来の基準と特に変わらず、異なる6分野を客観視するための一手法でしかない事がわかります。やはり私も、学生時代に学んだことからまだ抜け切れていないようです(笑)

○ちなみに1年生の作品をこれらの6要素で評価した上での注意事項として、下記のように学生たちにはお伝えしています。

1,上記6要素の意図とそれぞれの大切さ。
2,実は、評価の上下ほど、みなさんの能力はたいして違わないこと。
3,一年生時点での作品評価結果のみの意味と無意味さ。
4,経験や技術がないからこそ、にじみ出てくる個性について
5,思い描いた理想と、現実にできた作品にギャップがあればあるほど未来に可能性があり、大きく飛躍する可能性もあること
6,1年後の卒業制作を見据え、挑戦し、失敗することの意義、大切さ、有効性について

■ここで今年の1年生の作品の全体的特徴をみてみましょう

・単なる造形的な形(ハード)だけの作品は少なく、利用する人、利用方法、効果、など、人を中心にしたソフトデザインを意図してハードデザインを考えた作品づくりをしていました。

・数年前爆発的な広がりを見せた環境問題を主題にした作品は、世の中の空気を読みとるように数少なく影を潜め、少子化、草食男子、出会い、コミュニケーションなど、国内の課題である若者たちを取り巻く環境をテーマにしている作品がいくつか見られるようになりました。大きなできごとや世相が、学生たちの作品のテーマにも影響をあたえているようです。

・イベント全体含めたディスプレイデザインなど、公共性や社会性を加味した参加型のソフトデザインを取り入れた意欲的な作品も見られました。

・クラスの仲の良さを象徴するように、ほとんどの学生が平均以上のレベルに達していました。クラスのまとまり、仲の良さ、孤立化する生徒の有無、先導的役割の学生数と質、ゼミの参加人数など、数年間全体を俯瞰してみると、全体の作品レベルに影響がみられます。

○繋がりのデザイン―ソフトデザインへのシフト

上記のような一年生の作品の特徴をみると、先ほどの作品評価基準Ⅰでは曖昧なところが出てきてしまいポイントがつかめていないのがわかります。そこで先ほどの評価基準をハードデザイン的評価とし、これから上げる基準をソフトデザイン的評価としたいとおもいます。

○評価基準Ⅱ

1,企画デザイン → ソフト的発想力
2,コラボデザイン → 組み合わせのおもしろさ
3,イベントデザイン → 参加型デザイン
4,ソーシャルデザイン → 社会性のあるデザイン
5,コミュニティデザイン → 集団や組織のシステムデザイン
6,コミュニケーションデザイン → ヒトとヒトの繋がりのデザイン

・ 実社会での実現性よりも学生ならではの発想の独自性、先進性、おもしろさ
・ 発想に基づく、組織、システム、運営などのデザイン処理技術
・ 人間、社会に対する問題意識、課題設定、解決手法、効果
など、ソフトデザイン的評価を設定してはどうかと考えています。

■そして、作品個別の特徴
1年生の作品は、1年生でしか作ることができない、最初で最後の自分の作品です。技術が未熟なため思いもよらないことが時々起こります。

A:「自分の能力を見極め、最大限と思われる1年生なりの能力をいかんなく発揮した、完成度が高く、センスが感じられる、まとまった作品」
B:「自分の能力以上の課題に挑戦し、時間と労力を最大限かけたが、技術が追いつかずまとまるはずもなく、未完成であったり、破綻してしまった作品」
C:「プロの業界的視点や常識的な大人の視点で見た時に、非常識なところやセンスがズレたところがみられる作品」
D:「体裁を整えるために、後付のコンセプトを無理やりつけて、作品の質と異なることを主張してしまった作品」
E:「密度がやたら高い部分があるかと思えば、稚拙で粗い部分があり、アンバランスさが際立つ作品」
F:「コンセプト、問題意識、姿勢、筋道、必要要素がそろいプレゼもうまいが、肝心のデザインがなっていない作品」
など・・・

来年、卒業制作を控えた、数ヶ月しか勉強していないみなさんを相手に評価する場合、A、B、C・・・を比べた時、Aに高評価を与えるのは自然で、私も実際に高評価をしましたが、B、C、D・・・が評価されないのは、リ・イマジネーション時代の今では、(私にとって)講評として想像力がなく、つまらないですね。みんなが共有する目標があり希望を持って頑張れと、胸をはっていえない今、作品のおもしろさ、魅力、何よりも可能性が、実はB、C、D・・・にあるのではないかと思い始めています。

なぜなら、一年後の卒業制作の作品を見てみますと、みなさん一年生の時から驚くほど成長し、体裁の整った”作品”としてキチンと成立しています。そこには成長を喜ぶのと同時に、バランスがとられ、整合性がとられ、技術をマスターし、表現もできるようになったがゆえの、身の丈にあった、違和感のない、予定調和的な、キチンと整列展示されているだけの作品になってしまったという、寂しさ、みたいなものも感じてしまっています。

もしかすると、1年生が作品をつくる最大の目的は、果敢に挑戦し”失敗”をするためかも知れません。自分の挑戦と追いつけない能力、理想と実際にできた作品のギャップ、作ったものと説明しているコンセプトとの齟齬、余計で異質なものを付け加えてしまった作品。これらのギャップ、齟齬、蛇足等は作品を破綻させ、滑稽にみえますが、まじめにやればやるほど、ギャップが大きければ大きいほど、なにか独特な、特別のエネルギーを発っします。その特別のエネルギーに私の感性は刺激され、いつの間にか想像力をふくらませてしまいます。そこには得体のしれぬ可能性が秘めらているのです。

そこで、評価基準Ⅲ

■評価基準Ⅲ
リ・イマジネーション的評価基準

1,挑戦度
2,ユニーク度
3,飛躍度 齟齬度
4,斬新性
5,シミュラークル度
6,アンバランス度

■まとめ。
「一年生のための自主研究作品の評価三視点」

Ⅰ,ハードデザイン
Ⅱ,ソフトデザイン
Ⅲ,リ・イマジネーション

Ⅰハードデザイン的評価
1,コンセプト
2,物語
3,アイデア
4,デザイン
5,プレゼンボード
6,プレゼンテーション(発表)

Ⅱ、ソフトデザイン的評価
1,企画デザイン → ソフト的発想力
2,コラボデザイン → 組み合わせのおもしろさ
3,イベントデザイン → 参加型デザイン
4、ソーシャルデザイン → 社会性のあるデザイン
5、コミュニティデザイン → 集団や組織のシステムデザイン
6、コミュニケーションデザイン → ヒトとヒトの繋がりのデザイン

Ⅲ、リ・イマジネーション的評価
1,挑戦度
2,ユニーク度
3,飛躍度 齟齬度
4,斬新性
5,シミュラークル度
6,アンバランス度

■作品づくりの目的→作品づくりは自由な社会で生きていく上でのスキルアップにつながる。

自分への挑戦こそが作品づくりの目的である。
これは、社会で生きていく上で、すべての人々が生きる目的として有効である。他人と比べるのではなく、自分が成長できたかどうかが問題となる。
つまり、自由課題の作品づくりは、生きていく上での目的を学ぶ教育システムとして機能する。

1,自分と向き合い、社会と向き合う。
2,自由の世界の中の振る舞い方を知る。自由の中の不自由
3,他人に伝えることの難しさを知る。自分の思ったとおりに他人は理解しない。

自由が与えられることとは、自分とは何かを突きつけられることである。自由課題が目の前に現れたとき、あまりにも広大な自由な世界で何をすべきなのかを見つけるのは、校庭に落とした一円玉を見つけるように不可能といっていいほど困難をきわめる。一円玉を探すより、校庭で友達と遊んでいた方がいいだろう。運が良ければ見つけだすことができるかもしれない。しかし、ほとんどの人が見つからずに時間が過ぎてゆく。それが標準なのだ。
期限が限られた自由課題の作品づくりはその状態を体験することができるまたとない機会となる。本当の自分の作品を見つけることはできずに、他の既存イメージと戯れることによってしか作り上げることができない。それほど自分と向き合うことは難しい。

これからの社会で必要なこと、
1,無数の選択肢で溢れた海原で、不必要なものを捨て必要なものを拾い上げ、優先順位をつけて実行してゆく力。つまり、選択肢候補の峻別と優先順位付けと実行力。つまり、マネジメント能力の習得。
2,”おもしろきことなき世をおもしろく”
仕事は自分で創り出すもの。ゲリラ戦を計画し実行する力。ゲリラ戦術の習得。
3,リスクヘッジ
不確定、不安定、流動化。常にリスクはつきまとうので、リスクに備える環境を整えておく。準備を怠らない。リスクヘッジの習得。
4,コミュニケーション+プレゼンテーション。人とつながる力+人に伝える力
5,自分の確立は不可能であることを知ること。社会の中でしか自分は存在できない。

■最後に
有効な点、無意味なところ、喜んでもらったところ、傷つけたところ、関心を示した人、無関心な人、これを通して様々なやりとりをすることができました。これは、作品の評価でありながら、私に対する評価でもあり、私にとっても多くの刺激を得ることができました。
これまで3年間、一年生の作品を講評し、二年生の卒業制作作品を見ていますが、たかだか一年間でこんなにも成長する生徒がいるのかとそのギャップに驚くことが楽しみの一つになっています。

■ 『n次創作観光』 著:岡本健さん NPO法人北海道冒険芸術出版

3月 16th, 2013


↑ この本は、わかりやすく書いてくださっているので、大変楽しく読むことができました。

 

■旅にでる理由の自由化。

一般旅行本的旅行に興味を抱かなくなっている人が多くなってしまったようです。それは、まるで自分が個性のない人であるかのように、自らを認めてしまうからかもしれません。しかし、個性があるといっても、変わった人とは思われたくない、と考えている人も多いのではないでしょうか。このような、変わった人とはみられたくないが、個性がないとも思われたくない、といううらはらの気分が支配的になってきているように思います。
大衆文化の隆盛期、自分の感性に正直な個性を前提とした多様な島宇宙化が浸透し、特に感性の異なる人々の視線を気にしなくても良くなってきているのも確かのようです。感性に正直に従い行動を起こすことの方が、より自分らしく、島宇宙内で感性を共有でき、より満足感が得られるのかもしれないですね。まるで動物が行動するように。

古い町並みや廃墟に感じ入る若者たちの姿を見ていて、いったい何を見ているのかが分からなかったのですが、なんとなくですが、なにか、目には見えないものをみているように感じました。現実の景色をみて、背後に感じる物語を勝手に感じ取り自分の中でふくらませているようなのです。

幼少の頃より超一流の創作物に身近に接しているニュータイプのみなさんは、もしかすると、背景(2D)をみただけで、身近に接していた作品のキャラクター(の残像)が脳内で動き出し、イメージを想像(創造)できる能力を身につけているのではないでしょうか。現実の(3D)景色をみたとき、すでに3Dに近づいているリアルな映像(2D)と区別することなく物語内の背景と認識し、いつしか残像として染み付いているキャラクターが脳内で動き出しているようなのです。現実の景色が実際に網膜に写ったとき、脳内の残像と現実が重ね合わさり、彼らは新たな世界を体験しているのかもしれません。

そう、多くのソフトコンテンツをみている若者たちは、自分の脳内に鮮明に映像が浮かんでおり、網膜に写り込む現実の世界と、脳内の想像している映像をりミックスさせ独自のストーリーを構築し、新たな物語を紡ぎ出しているのかもしれません。これが、現実の網膜3D+映像2D=2.5Dの正体に思えてきました。

“聖地巡礼”その目的は、劇中にでてきた場所へ出向き、地霊ともいうべき何かを感じとり、脳内に残像として現れるキャラ達と戯れ、物語から受けたパワーをさらに増幅させ、自分に取り込むことのように見えます。それは、当該若者たちにとって、神社仏閣にかわるパワースポットとなっているのではないでしょうか?そのような状況を考えれば”聖地”という名が単なるお遊びではなく、生きる上での”支え”となり、その名の通り”聖地”となっているのも納得できます。

大きな流れの中で、いったい今は何時代なのか?今どの位置にいるのか?みんなどんなことを考え、何をしているのか?自分はいったい何者で、どこで、何をしているのか?誰しもが思い浮かべる疑問だと思います。全体像をつかむのは不可能ですが、今のこの情報化社会ならば、誰しも断片的なかけらを偶発的につかむことは簡単にできます。そのかけらを集めたり、自ら作りだしたりしながら、分かりやすく解説くださっているこの本を読むと、一つの文化現象つかむことができます。現状の若者たちの状況をふまえた上で、新たな視点を提示してくださった興味深い本でした。

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n次創作観光 アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性
著者:岡本健さん
出版社:NPO法人北海道冒険芸術出版

■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第4回「京都のビンテージが生みだす都市再生」が終わりました。

3月 10th, 2013

■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第4回 「京都のビンテージが生みだす都市再生」が、昨日3月9日(土)に開催されました。


↑ カレッジ開催前に「山王マンション」のリノベーションルームの見学会が開催されました。私は、昨年リノベーションのデザインをさせて頂きました305号室のご説明をさせて頂きました。


↑ カレッジの開催です。お着物でご登壇されました大島さんの京都での多岐にわたる取り組みのお話でした。
これは、「プロジェクションマッピング」という言葉が広まる前に、既に京都で2004年から開催されていた「三条あかり景色」というプロジェクトのお話です。


↑ その他、多くのプロジェクトのお話をお聞きすることができました。ストック時代に突入している日本では、これまでの新築前提のシステムが機能しなくなってきています。今回のお話は、京都という地域で、ストック時代に有効なシステム・手法の提案のみならず、実践し、新しい時代にあわせ社会を変革していっているという取り組みの内容でした。(これからの日本のスタンダードになりそうです。)


↑ ご講演のあと、4名のパネリストが参加され、パネルディスカッションが行われました。
 
 
ご報告と私の感想は後日アップさせていただきます。
(はじめてお聞きする内容ばかりでしたので、今回はかなり時間がかかりそうですが、なにより私の勉強になりますのでなんとかしたいと思っています。(笑))
 
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福岡ビンテージビルカレッジ:http://www.space-r.net/bunkasai/college
京都のビンテージが生みだす都市再生

日時 2013年3月9日(土)15:00~17:30
懇親会(17:30~1時間程):参加無料
会場 山王マンション(福岡市博多区博多駅南4-19-5) 》 会場アクセス
タイトル 「都市居住推進研究会のチャレンジ!」
~京都の不動産事業者・建築士・研究者・行政関係者がタッグを組んで、住まい・まちづくりの難題に取り組んでいます~
講師 大島祥子氏(都市居住推進研究会 事務局/スーク創生事務所 代表)
【略歴】
一級建築士、技術士(建設部門)。京都生まれの京都育ち。途中大阪で3年働くも、それ以外はずっと京都の井の中の蛙。建築・都市計画の領域から、京都の魅力づくり・発信に取り組んでいます。
【活動紹介】
都市居住推進研究会 http://www.tjk-net.com/
1994年発足。京都市内の住まい・まちづくりの課題(細街路、既存不適格建築物、建売住宅の質と景観形成、地産地消、住宅の産業連関、京都ブランドの住宅づくり等)の解決に向けた調査研究、提言、モデル事業などを実施しています。
今回は、モデル事業(まちなみ住宅設計コンペ/北大路まちなか住宅コラボレーション/京都まちなかこだわり住宅)についてご紹介したいと思います。


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こちらも御覧ください。

福岡ビンテージビルカレッジ / 第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想
福岡ビンテージビルカレッジ / 第2回「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想

 


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■ 下関街歩き – 01:「晋作」

3月 1st, 2013

■下関街歩き-01 : 「晋作」

下関市内、「厳島神社」を出発点にして、25人ほどのみなさまと街歩きをしてきました。
「明治維新」、「壇ノ浦の合戦」はもちろんですが、昭和時代の建築物・大衆文化も見逃せないものが多々あり、幅広く、奥行きのある街歩きとなりました。

■ 「晋作」

何かあるだろうと思って楽しみにしてた「晋作」。はたしてどんなお店があるのだろうと思ったら、
出発点にありました(笑)・・・「本格炭火串焼・鉄板焼・石焼ビビンバ 晋作」
大衆文化が大好きなのが歴史上の人物や著名人がもつイメージや物語、ブランド力といってもいいかもしれません。ここでは、焼肉屋さんが私も大好きな幕末の志士「晋作」を手に入れたようです。


昭和の典型的なテント生地のサイン。それほど古くはないようです。もともとのアーケードはサビが出て良い感じに醸成されています。


↑ 「維新幕末年表」 その下に 高杉晋作の写真 そして、右側には看板が・・・


↑ 「全国晋作会連合会 下関支部」!
空白があると、色々”貼りもの”を貼ってしまうのも人情、大衆文化の特徴ですね。


↑ 神社の横の一等地に陣取る「晋作」。

神社横というロケーションを考えれば、鳥居横のこの2棟は、建物自体、日本家屋の質の高い良い建物なので、「晋作」と、お隣の青果・鮮魚やさんのテントサインだけでも取り払ってしまえば、景観上非常に良くなり、品も出てきそうです。一般的視点でみると観光地としてもそちらのほうが良いようです。
しかし、大衆文化的(サブカル的)視点では別の見方ができます。”景観”とか”品”とかそんなものはお構いないに、商売根性丸出しのまったくセンス無しの”昭和的ベタ感覚”で装っているところにおもしろみがにじみ出てきます。
この、「にじみ出てくるおもしろさ」に着目して街歩きをすると、まったく別の街の姿が現れてきます。日常の大衆文化をどのように評価すればよいのかは、まだわかりませんが、大衆文化的(サブカル的)視点が広まってきているのも確かなので、これからの街歩きでは、様々な視点で、自由に、自分の感性で街の姿を捉えることが楽しいのではないかと思っています。

次回に続く・・・

 

 

 

 

 

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「しずおかコーラ」-静岡県産緑茶入り

2月 26th, 2013

関門橋の壇之浦パーキングエリアで見つけた「しずおかコーラ」。
静岡県産の緑茶入り。ほのかにお茶を感じるコーラでした。(笑)

ネットでも販売中。
木村飲料株式会社:http://www.kimura-drink.net/products-new007.html

 

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■ 福岡ビンテージビルカレッジ/第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

2月 18th, 2013

福岡ビンテージビルカレッジ
第3回 「食文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

タイトル : 「伝統食の復権。今、見直される日本。私たちの帰る味はどこに?」~農山漁村に残る食のビンテージを巡る冒険~
講師 : 森千鶴子氏(森の新聞社代表、福岡教育大学非常勤講師)

着実に、よりディープに発展してきた日本のポップカルチャ(サブカルチャー)。現在、世界の最先端を走っているのではないでしょうか?しかし、日本のポップカルチャー(サブカルチャー)をリードしている若者達の”食”に関して考えてみると、はたして、日本の日常的大衆”食”文化は発展してきたといえるのでしょうか?サブカル的に発展してきたとして、発展してきた方向性はよかったのでしょうか?それを、突きつけられたような内容のお話でした。

また、「食の文化祭」「行事食」「伝統食」「地域食」「弧食」「携帯食(けいたいしょく)」「小昼(こびる)」など、”食”にまつわる様々な言葉が登場しました。私にとって初めて聞く言葉ばかりで、新鮮な内容となりました。ここに、”食のビンテージ”のヒントがありそうです。

■ 原点 どこに帰るのか?

○ 懐かしさを感じるようになってしまった学生の食事

お話はまず森さんが非常勤講師をされている大学生のみなさんの、毎日三食一週間分の食事メニュー調査結果の一部紹介から始まりました。
出来合いのもので食べつないでいる男子学生、実家にいながらバイト先のドーナツを夕食にする女子学生。昔を懐かしく思い出しつつも、30年前と変わらない学生たちの食生活に怖さも感じました。このような食事が学生諸君の標準食として確実に定着化しているのです。
ここで森さんは、”弧食”、というご指摘をされました。私は初めて聞く言葉でしたが、一人で孤独に(寂しく)食べることを”弧食”というようです。一人暮らしや実家にいたとしても一人で(寂しく)食べる状態、つまり、”弧食化”がこのような食事メニューになってしまう一つの原因として考えられるということです。「”弧食化”が招く”食”の劣化現象」といえそうです。

○ 日本食の原点

ファストフード、ファミレス、コンビニ、弁当屋、などが登場してきた70年代から40年程経ちますが、市場原理に忠実に従い発展してきたこれらの食べ物、メニューとは、いったいどこの、だれの、何の食べ物なのか、改めて考えてみると、よくわからなくなってきました。

時代の転換期には、今までのシステムがうまく機能しなくなり、大規模な修正や、時には、まったく新しいものに更新しなければならなくなります。また、うまく機能していたとしても、方向性に問題があれば目的や方向性を改め、軌道修正をする必要があります。それに伴い、自分の考え方の変更を余儀なくされたり、根本から否定されたりすることもよくあります。私もそうですが、その時に誰しも”迷い”がでてきます。元々何を目的に何をやってきたのか?迷いの中で、いつしか時間をさかのぼり、”原点”とは何だったのか?を探し始めてしまいます。

そこで森さんは、日本人の食の原点として、「ごはん、味噌汁、焼き魚、おひたし」という献立を提示してくださりました。どのようなものでもそうですが、原点とはシンプルなものです。無駄なものはなく、必要最低限のものは網羅している。風土や地域性、歴史や民族性など必然的に生まれ出てくるものです。

右肩上がりから水平飛行時代に移った中で、”食”に関しても、近代以降の日本人にとって、あるべき本当のライフスタイルとはいったいどういったものなのか、を考える時期にきているようです。森さんのご指摘のように食の原点に立ち返るときではないでしょうか?食の原点の四品にたちかえり、”食”を考え直す。これは、何よりもまして最も必要なことのように感じました。

■ 引き算の時代 ー 本当に必要なもの=価値を見つけ出す。

○ 自由の中の不自由

元々なんだったのか?引き算していくと見えてくるものがあります。森さんは、日本食の原点とは、「ごはん+味噌汁+焼き魚+おひたし」、である。買えば何でも手に入る時代、選択肢が多すぎることで、自分にとって大切なもの、必要なものが何なのかを見失い、手っ取り早いもので済ませてしまう文化ができてしまったと提示してくださりました。これは、消費時代の有り余る選択肢の海原で漂流する難破船状態、大きな目標を見失い、目の前のことにのみ反射的に行動してしまう、ある意味、”自由の中の不自由状態”といえるかもしれません。
選択肢の氾濫、多様化が進む世の中で、必要ないものをいかに上手に捨て去り、必要なものを拾い上げることができるのかが、難破せずに、目的地に向けて航行できるテクニックの一つのようです。

○ 賃貸物件におけるマイナスのデザイン

機能の付加的バージョンアップで進んできた日本製品。賃貸物件に関しても同様で、時間が経てば経つほど価値が落ちるという宿命の中で、他物件と比べ少しでも機能、性能が劣らないようにしていこうという競争に邁進してきました。それは、最新の新築物件が最大評価となる、右肩上がりが前提のモダニズムの考え方を基準にした”リフォーム時代”の考え方です。
この考え方ですと、未来永劫、機能付加的バージョンアップをしていかなければならなくなります。これが永遠に続くことは不可能ですね。
前回の感想の中でも書かせていたできましたが、右肩上がりモダニズム時代が終わり、次の時代に移り変わっています。”リフォーム”から”リノベーション”の時代へ。モダニズム時代からリ・イマジネーションの時代へと。

右肩上がりのリフォーム時代、次々に付け加えられ、バージョンアップしていく機能でしたが、リノベーション時代に入り、逆の現象、”マイナスのデザイン”も多々現れてきています。解体撤去された化粧材、がらんどうのスケルトン状態の必要最低限にまで還元された空間。モダニズムの原点の空間がこれです。
どこに寝て、どこでくつろいだらよいのか?与えられることに慣れた入居者を惑わす空間。そこには何もないのですが、じつは入居者の想像力を最大限尊重した最大限の”自由”があるのです。見た目不自由に思える”がらんどう空間”には自由があります。”不自由の中の自由”ともいえます。

機能を引き算することで、つまり、マイナスのデザインにより、入居者のみなさんの自由度を上げるという要望に応えることもリノベーション時代には成立します。

■ 食の文化祭

○ 日常文化祭

宮城県宮崎町、地方の田舎まちで行われたイベント”食の文化祭”。各家庭から一品持ちよりで料理を集め、みんなで食べてみるというイベントだそうです。これはまさに、これからの生活中心社会にふさわしい、ありぶれた日常へ敬意をはらい、そのすばらしさを再認識する現代の文化祭ではないでしょうか。
このイベントでは、料理の優劣はつけないそうです。日常を彩る各家庭料理の多様性、そして、風土や歴史から生まれ出るその地域の独自性に価値があり、それを、自分たちで定期的に再認識し称え合い、次世代へ伝えていこうというような主旨のように感じました。

○ 行事食 伝統食 地域食

全国各地、様々なお祭りがありますが、どのお祭りも”食”の視点から見ても重要であることを、今回のお話で学ぶことができました。これまで、お祭りなどの”伝統行事と食”の関係は、私は全く考えたことがありませんでした。各地方の古くから行われている伝統行事が実は食文化のイベントでもあったのです。食の文化祭で行われた、各家庭一品持ちよりは、実は、地域の伝統行事で既に長年続いてきたことだったようです。(ハレとケの違いはありますが)

お祭り等の行事にふるまわれた行事食が、その地域独特の地域食になっていき、いつしか伝統食となっていくとのご指摘が、食文化の成立過程をよく表しており、大変興味深い内容のお話でした。

■ 何もないとは何がないのか? ー 日常の見直し時代。

○ 日常と非日常

よく、地方に行ったり、田舎に行ったりすると、ここは何もないと話したり、聞いたりします。過去を振り返ってみて、いったい何を持って、”ここには何もない”と言っていたのだろうと思い返すようになりました。
旅行やレジャーといえば、希少性のある、日常にはない非日常的な施設や行為が目的で出かけることが多いのですが、その非日常的施設や行為が”有る/無し”という視点で、勝手に決めつけていたようです。考えてみれば人が住んでいるところは、どこに行ったとしても日常があるので、非日常的視点でのみ”有る/無し”を判断し、決めつけてしまうのは乱暴すぎることがだんだんわかってきました。

○ 日常の価値

希少性のある非日常的施設や行為はもちろん価値は高いのですが、旅行、レジャーブームにより、多くの人々がそれらを求めるあまり、希少性や非日常性の価値が思った以上に高騰してしまい、退屈な日常生活の価値が低いものという評価基準が社会の常識となってしまいました。

○ 歴史も日常に目を向け始めた

歴史においても、庶民の日常生活の価値が見直されているようです。やり尽くされた為政者の歴史から、庶民の生活に焦点を当てた歴史が掘り出されるようになってきました。人間味あふれる庶民の暮らしの歴史は思いがけないことも多々あり、大変おもしろいです。

○ 評価基準の転換

近年、脚光を浴びているコミュニティーデザインは、ありふれた日常は低価値であるという概念を逆転させ、日常の価値を自らとらえ直し再定義するという評価基準の転換と再定義から始まるようです。(ここには何もないのではなく、こんなにも日常を支える様々な価値あるものにあふれている・・・という感じでしょうか。)
先ほどご紹介した食の文化祭は、このような評価基準の転換により、日常を彩る家庭食に焦点をあたコミュニティーデザインといってもよさそうです。

これらの価値を考え直すことは、”原点”とは何であったのかを考えることではないでしょうか?これからどんな考え方で、どのような目的でライフスタイルを確立してゆくのか、原点を見直し(=リ・イマジネーションし)作り直してゆくときのようです。

■ 自分で作る=セルフビルド

○ 弁当を自分で作る

ある小学校で、自分で弁当を作る日をつくり実施してみたそうです。便利なシステム内にいると自分が何に支えられているのかがわかない状態で日々を過ごしてしまいます。私も学生の頃、日々のお弁当や食事は自然と出てくるのが当たり前だと思っていました。これを認識するために自分で弁当を作ってみる、つまり、セルフビルドしてみるという試みです。

○ セルフビルドはたのしい

徐々に広がりを見せるセルフビルド。それは、生活とは何かを探している行為のようにも見えます。全てを合理的に計算の遡上に載せてしまう資本主義的考え方が、体の感覚的なものと齟齬をきたし、無理な考えなのがバレた感じではないでしょうか?他人に任せてしまい消費することで片付けてしまう意味に魅力がなくなってきた(飽きた?)ようです。もともと人が持っている手を動かしてものを作る行為が復活するのは至極当然の健全なことのように思います。

○ セルフビルドx空き屋リノベーション

有り余る建物をどうしてゆくのかは人口減少時代に突入している日本では、すでに社会問題になっています。現状の用途に合わない建物を有効利用するには、セルフビルドが有効であり、理にかなっています。むかしのように、自らの生活を自らの手で作っていくことが近代のライフスタイルにも有効で、必要なことなのではないでしょうか。

■ ポップカルチャー(サブカルチャー)X行事食

これは、これからの社会で最も必要で、最も大きな課題である”食育”と”食文化の伝承”についての具体的対応方法として有効かもしれません。偉大なる家庭内食文化が”弧食化”により有効に活用されず、次世代へと伝わることもなく、消え去ってきているようです。現在の貧弱な”弧食”の皆さんの食事を改善するために、家庭内食文化を若者たちの日常にどのように忍び込ませ、伝承させていくのか、次のようなご提案がありました。

何かのイベントに集まったときに、必ずといっていいほど”食”がからみます。その時に手作りのもので楽しむ食事、つまり、”行事食”を文化にしていこうというご提案です。
食に限らず、何かを広めたり、伝承していこうとする場合、すでに存在している若者達の集まりやコミュニティーにうまく滑り込ませることができれば、自然に広がり、伝えていくことができるかもしれません。
予想以上に貧弱な若者たちの日常”食”文化。日本全体をみても一世帯二人以下が半数を占めるようになった中で、便利であるが故の退化(?)状態の食文化をどのように立て直すのか。大きな課題です。

■ “場”

森さんは打ち合わせ当初から”場”の重要性を指摘されていました。
つまり、”場”に”食”ありです。もしくは、”場”と”食”をつなげよう、それがこれからの社会に必要ではないかというご指摘です。
私なりに考えてみると、第一の場所が住居、第二の場所が職場、そして、住居と職場以外の場、第三の場所=”サードプレイス”と”食”をつなげることで新たなライフスタイルを確立できるのではないかということです。
もちろん、住居、職場での食が最も大切なのですが、二人以下の世帯が増加し、家庭があったとしても共働きも多くなり、職場も不安定化する中、孤立し弧食となってしまった場合、これらの場所以外の”場”がもう一つあり、複数人で食卓を囲うような機会を作ることができれば、生活に少しかも知れませんが、安定感や安らぎ、安心を得ることができるのではないでしょうか?。
人口減+高齢化+少子化の社会では、余った建物をサードプレイスとして”食”も含めて活用することにより、生活圏コミュニティー全体のライフスタイルを確立できるのではないかと思っています。

■ 仮設住宅での食の文化祭

ボランティアのみなさんに、やってもらうばかりでは、実は、心の負担になるという中で出てきた自然的行為が、仮設住宅で行われた”食の文化祭”だそうです。仮設住宅にお住まいの方々が、家庭料理を持ち寄って開いた文化祭。大震災とは写真や映像に残らない多くの無形のものも破壊してしまうようです。もしかすると、行事食、伝統食、地域食、それを支える多くの家庭の日常食を破壊してしまったかもしれません。

■ 食xビンテージ  食のビンテージとは何でしょうか?

ビンテージは、個人からわき出てくる感性が元になり成立しています。ですから、広く社会に共感を得るというよりも、サブカル的な一部の島社会の中で強く共感を得るということになりそうです。個人の感性に立脚したビンテージ的価値を基礎とした文化は、サブカルチャーとの親和性がよいので、着実に広がり、定着してゆく文化ではないかと考えています。

多様なる日本食、これは、日本の風土とそこに生活している日本人気質が成し得る独自の多様なる文化です。代々受け継がれてきた食文化が、いきすぎた孤立化により途絶えようとしています。便利になりすぎた分、今や、日常的日本食がビンテージ化してきたといってもよいかもしれません。希少価値となってきた(?)日常の日本食。森さんのご指摘された試みを参考に再生していく必要がありそうです。

「食の文化祭」「行事食」「伝統食」「地域食」「弧食」「携帯食(けいたいしょく)」「小昼(こびる)」など、”食”にまつわる様々な言葉。さすが日本人、こういった面からみても、もう既にビンテージ化(サブカル化)しているように思えてきました。多様な食の分類が、それぞれの価値の定義など、ビンテージ化の基礎となる評価基準の設定に役立ちます。これからも、よりディープに発展していくポップカルチャー(サブカルチャー)。日本の日常食をビンテージ(サブカル)と位置づけることにより新たな展開や広がりが可能になるのではないでしょうか?
これまで市場にまかせ、サブカル的に発展(?)してきた若者を取り巻く日本の日常的大衆”食”文化の方向性を軌道修正し、森さんが提示してくださった、日本の食の原点である四品に立ち返り、若者たちにも受け入れ可能な新たな食文化を作り上げていく時がきているようです。

■ 二つの不自由

「行きすぎた自由・多様化による不自由」と「付加されすぎた機能や超過サービスによる不自由」

豊かさを求め、自由を望んだ結果、わずらわしい前近代的なつながりを断ち切ったのはよかったのですが、自由な中で自分勝手が行きすぎたあまり、助けが必要なときに誰もいなくなってしまった現代人。個人を中心とした多様なサブカルチャーが発展したのはよかったですが、ますます自由→個人→孤独へと進んでいる結果、行動が制限されることもでてきたようです。(多様化と自由超過の中の不自由)

明日は今日よりよくなるという右肩上がりの時代は、付加機能の増加分や便利性が消費の動機となり利益となる、機能のバージョンアップ、多機能化が前提の時代。
いつしか使う人はおいていかれ、モノだけが独自の進化を進み出す。いつしか、これだけグローバル化した情報化、自由貿易世界にも関わらず、”ガラパゴス化”という現象まで引き起こしました。(これはこれでサブカル的視点ではおもしろい)
食生活においても、コンビニ、ファストフードなど外食産業の発達により便利になりました。しかし、自分で食事を作らなくなり食文化は衰退してゆくばかりです。この状態は、食の自由が奪われているといってもよいのではないでしょうか?(機能・サービス超過による不自由)
先ほど指摘したように、賃貸・分譲マンションや住宅産業の住居でも同様です。

■ 最後に

第1回目が”衣”、第2回目が”働”、今回の第3回目が”食”、次回の第4回目が”街”です。”住”空間を取り巻くこれらの生活空間を、新時代にあった新しいライフスタイルにどのようにリノベーションさせてゆくのか?第3回目を迎えた今回も、大きなヒントが得られた意義深いお話となりました。
次回も楽しみですね。

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福岡ビンテージビルカレッジ :http://www.space-r.net/bunkasai/college
第3回 食文化から生まれるビンテージ/ 2013年2月2日(土)

タイトル : 「伝統食の復権。今、見直される日本。私たちの帰る味はどこに?」~農山漁村に残る食のビンテージを巡る冒険~
講師 森千鶴子氏(森の新聞社代表、福岡教育大学非常勤講師)
【略歴】
1968年生まれ。福岡県宗像市出身。バブル時代に、東京でコピーライターをしていたが、消費社会にどっぷり浸かっている自分に限界を感 じ、親の病気を口実に96年に、福岡に帰郷。以降、九州を中心に農山漁村を歩きながら、食文化、農業等の記事を書くフリーライターとなる。2002年より 2010年までの8年間は、日田市中津江村の廃校活用住宅に移住。以来、書くことにあきたらず、食を核とした地域づくり活動や、村おこしの支援、子どもた ちへの食育活動などに関わっていく。2011年より福岡市在住。天神パークビルの屋上稲作「たのしイネ」アドバイザー。都市と農村、子どもたちや若者と農 村の、あたたかな関係づくりを模索中。
【活動紹介】
農業専門誌などへの執筆のほか、地域を見つめ直し、未来の暮らしに活かす「地元学」の指導やワークショップ、特産品開発、農産加工等の助言も行っている。
2000 年より、各地の食資源の見つめ直しによる、地域づくり活動「食の文化祭」「家庭料理大集合」の取り組みをサポート「築上つけもの博覧会(福岡県築上 町)」、「古賀のみかんの文化祭(福岡県古賀市)」、「高千穂のこびる発表会(宮崎県高千穂町)」など。関わった地域は70ヶ所以上になる。
農林水産省選定「地産地消の仕事人」、六次産業化ボランタリープランナー

主催:NPO法人 福岡ビルストック研究会/(株)スペースRデザイン/吉原住宅(有)
コーディネーター
吉原勝己氏(吉原住宅(有)代表取締役)/信濃康博(信濃設計研究所所長)
場所:山王マンション/1F

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第1回 私のVINTAGE LIFE / 2012年12月16日(日)終了
第2回 オフィス文化から生まれるビンテージ / 2013年1月19日(土)終了
第3回 食文化から生まれるビンテージ / 2013年2月2日(土)終了
次回
第4回 京都のビンテージが生みだす都市再生 / 2013年3月9日(土)

こちらもご覧ください
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第1回 「私のVINTAGE LIFE」 ― ご報告と私の感想
>>福岡ビンテージビルカレッジ / 第2回 「オフィス文化から生まれるビンテージ」 ― ご報告と私の感想

 

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■ 福岡デザイン専門学校の卒業制作展に行ってきました。

2月 12th, 2013

■ 福岡デザイン専門学校 第15回卒業制作展+アジアデザイン交流展

今回の卒業制作展は、アジアデザイン交流ということで、台湾の2つの学校(國立彰化師範大學附屬高級工業職業學校 × 華夏技術學院 )の作品も展示されていました。場所は、アジアデザイン交流にふさわしい「福岡アジア美術館」。
台湾のみなさんの作品パネルは当然ながら全て漢字で書かれているので、ビジュアル的に新鮮です。文章の内容はよくわかりませんでしたが、日本同様、環境をテーマにしている作品が多数見られました。

福岡デザイン専門学校の卒業制作展のおもしろさは、環境系、視覚系、それぞれ6専攻、合計12の専攻の作品を同時に鑑賞することができることです。この多様性は、専門性を重視した時代に学んできた私にはいつも新鮮に映ります。本来はこの展示状態のように、全て同じ風景の中のデザインとして広い視野で考えたほうが良いように思われますが、もちろん専門性を追求することも大切です。多様性と専門性、両方を学びたい貪欲な学生さんにとって専門学校は良い学びの環境です。

福岡デザイン専門学校 第15回卒業制作展

■日程:2/7[木]〜2/12[火]
■会場1:福岡アジア美術館 交流ギャラリー
[福岡市博多区下川端町3-1 福岡アジア美術館8F]
■会場2:福岡デザイン専門学校 ギャラリー
[福岡市中央区赤坂1-10-10 福岡デザイン専門学校1F]
■時間:(会場1)10:00~20:00 ※入室は19:30まで
(会場2)10:00~17:00

アジアデザイン交流展
〈 福岡デザイン専門学校 × 國立彰化師範大學附屬高級工業職業學校 × 華夏技術學院 〉
■日程:2/7[木]~2/12[火]
■会場:福岡アジア美術館 交流ギャラリー
[福岡市博多区下川端町3-1 福岡アジア美術館8F]

■ 築48年の吊橋のワイヤ切れる

2月 11th, 2013

築48年の歩行者用吊橋「第一弁天橋」(地上約6m)のワイヤケーブル2本のうち1本が切れ、橋の一部が大きく傾いたそうです。
この吊橋は浜松市天竜区水窪町奥領家、国道152号上、鉄骨造、全長約32m、幅約1m20cmで、1965年に完成。

昭和の経済成長期につくられた日本全国の現施設の補修改修維持管理だけで莫大な費用がかかる。どこにお金をかけるのか、優先順位が将来の明暗を分けそうです。

読売新聞より:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130210-OYT1T00661.htm?from=navlp

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